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2004年 第5号
| = 水墨画の魅力を掘り起こす = | ||||||||||||
| ● 孫 子青 ● | ||||||||||||
水墨画の大家とその作品@ |
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◆はじめに |
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| 前回までは、中国の水墨画を師と仰ぎ、中国から輸入して誕生した日本の水墨画がいかに日本ナイズされ、ドメスティックな存在になって行ったかを、日中の絵画交流史を辿り、絵画の特徴を眺めながら学んできました。中国を親として生まれた日本の水墨画が、内外の様々の絵画技法を積極的に採り入れることにより、進歩と発展の道を歩んだのに比べ、水墨画の開祖であり、師でもあった中国の水墨画が、宋・元時代の隆盛を最後に、自らの殻に閉じ籠ったために、衰微と停滞を余儀なくされた皮肉な歴史も、あわせて学習してきました。 今回からは、古代から近代に至る、長い絵画史の道程に足跡を残した水墨画の大家と彼等の名画を採り上げ、異なった観点から勉強を続けてゆきたいと思います。 |
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◆山水画についての前知識。 |
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| では、学び始めに中国の隋時代の作家<展子虔(てんしけん)>を採り上げ、彼の代表作・山水画の「遊春図(ゆうしゅんず)」を鑑賞することにしましょう。すでにご存じの方もいらっしゃると思いますが、伝統的な水墨画には山水・人物・花鳥という三つの分野があります。その中でも、多くの画家と作品が生まれた分野は、言うまでもなく山水画です。 人物画や花鳥画に比べ、山水画の特徴はなんと言っても題材に恵まれていることです。自然界に存在するすべてを絵の対象にするわけですから、対象を自由に選択し、組み合わせ、配置することが可能です。その結果、百人の画家がいれば、百通りの構図ができあります。さらに山水画は、絵画の技法においても、複雑かつ多様性に富んでいます。たとえば、広大な風景を描く場合、画布の上に質感の異なるさまざまの対象を登場させることになり、対象物を描き分けるためには、当然のごとくに多様な技法が要求されます。人物画や花鳥画に比べ、「山水画の芸術表現はスケールが大きく、絵の表情も豊かである」所以もここにあるわけです。 こうした絵画特徴は山水画のDNAとして1500年にも及び連綿と継承され てきましたが、現在では洋画の表現手法まで積極的に採り入れられ、多彩な山水画が創作されています。次に紹介する展子虔の作品は、構図の自在さ、スケールの大きな表現、そして多様な表情など。山水画の特徴をすべからく具備した、山水画のルーツをなす作品と言われるものです。 |
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◆山水画の開祖、随時代の展子虔の「遊春図」。 |
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| 中国の山水画は、一般に晋の時代(3世紀)に現われ、宋元の時代(10世紀以後)に頂点を極めたと言われます。長い歴史の中で、展子虔は山水画の先陣を切った画家とされていますが、絵画作品の中に山水の風景が現れたのは、それよりずっと以前の、晋の時代へ遡ります。しかし、晋の時代の絵画はあくまで人物に主体を置いたもので、山水の風景はその背景に過ぎず、描写も稚拙なものでした。その後、数世紀を経て隋の時代になると、いよいよ展子虔(約550年〜604年)が登場。風景を主体とした水墨画、即ち山水画の歴史が始まります。 展子虔は隋時代(581〜618年)の渤海(現在の山東省陽信)の人で、画家であり朝廷の官僚でもあった人です。もともと人物画を得意とした画家で、彼の描いた人物は繊細な線描に淡い色彩が施され、あたかも生きているように見えたと言われています。人物画では“唐画の祖”と崇められた展子虔は、山水画においても巨人でした。とりわけ風景の遠近感の表現に秀で、“画布上の分寸で千里を表現した”と形容されほど、天才的な冴えを見せたようです。 彼は積極的に全国を巡り、絹や紙の作品以外にも、西安、洛陽、浙江省などの寺院の壁面に数多くの作品を描いたと言われますが、壁画で現存するものは皆無で、わずかに絹本絵画が残されているのに過ぎません。では、北京の故宮博物院に収蔵されている、展子虔の代表作「游春図(ゆうしゅんず)」(図1)を見てみましょう。 |
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![]() 図1:展子虔・画「遊春図」(隋時代) 絹本着色 北京故宮博物院所蔵 |
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◆「遊春図」の鑑賞を通して学ぶもの。 |
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| 絵画の舞台は、桃や杏の花が咲く中国南方の早春の風景です。寒さはまだ残っていますが、樹木は芽を吹き、遠い山々は青く霞み、水は温み、水面を覆う波は穏やかです。早春の景色を楽しもうと、文人や女官たちは家を出、馬に乗り散策し、岸辺で詩を読み、舟遊びに興じています。いかにも南中国の早春を髣髴とさせる光景です。絵画の構図は自然の景色を主体に置き、遠景を眺めるような視点で山水を置き、スケールの大きな自然、奥行きの深い自然を捉えています。連綿と連なる山々の輪郭、樹木と人間のバランス、遠望する風景との距離感も正確に捉えられ、大きく広がった水面を中央に置く大胆な構成は、絵画に勢いと安定感を与えています。画面全体に流れる和やかな雰囲気は、早春の喜びに浸る画家の心を素直に語っています。 |
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![]() 図2:「遊春図(部分)」 |
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◆後世に多大な影響を与えた游春図の「鉤勒填彩」技法 |
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| ◆山水画の揺籃期、晋代の顧ト之の「洛神賦図」。 | ||||||||||||
| ここで晋の時代へ遡り、「遊春図」より古い絵画を鑑賞してみましょう。この時代の絵画の主流は人物画です。たとえ、樹木や山水が描かれていても、それらは人物の隣に小さく付き添うように描かれており、大小のバランスも実に不合理なものでした。この時代の名作、顧ト之の「洛神賦図(らくじんふず)」(図4)をご覧に頂けば、今申し上げたことが即座にご理解いただけます。人物描写の完成度に比べ、山川樹木の形状は極めて幼稚で、自然の発散する活き活きとした生命力、息吹をまったく感じ取ることができません。 |
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晋の時代から数世紀を経て、隋の展子虔の「遊春図」が登場すると、広大な自然の中に小さな人間が活動している自然主体の作品「山水画」がようやく誕生したことが分かります。「遊春図」の山や川、樹木の写実的な描写は、「洛神賦図」のそれと比べると、長足の進歩を遂げています。「洛神賦図」のような人物主体の絵画では、風景の存在は一種の“もの”であり、脇役のひとつに過ぎません。大自然が画家の目の中に主役として登場した瞬間、画家は自から芸術的な処理を施し、美の生命を吹き込むのです。風景の中の一本の樹、一つの石は画家の主要な表現対象となり、これらは、観念上はだれの付属物でもなく、一つの独立した主体になります。こうした独立性がなければ、山水画の存在はありえないものだったでしょう。「遊春図」の持つ意義は、自然風景が表現対象として確固たる独立性を持ったことにあります。 |
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| ◆「遊春図」の誕生について想うこと。 | ||||||||||||
| 「遊春図」の成立について残された記録はありませんが、その制作過程を想像してみると、当初から新しい“山水画”を意図し、描き始められたものではないと考えられます。あるとき、展子虔は先人たちの絵は、やはりどこか変だ。洛神賦図の山や樹木は小さ過ぎるのではないかと疑問を抱き、もっと自然を忠実に描いてみたら、どうなるだろうと考えたのでしょう、素朴な気持ちで風景に目を向け、山川樹木を丹念に描き出し、何度も習作を重ねた結果、「遊春図」は誕生したのではないでしょうか。 画家の創作は思想を固めた後に行われるものではなく、一連の試行錯誤の末に生み出されます。展子虔の場合もきっと同様だったと考えられます。遊春図は単独で存在した絵画ではなく、展子虔は遊春図と同じのような山水画を何枚も描いたはずです。 |
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| ◆「游春図」の後、本格的な山水画時代が到来。 | ||||||||||||
| 展子虔以後、山水画の様式は新境地を拓き、完成度を高めながら、中国全土に急速に広がりました。画家は次々と大自然に目を向けました。初期の山水画は写実的で、中国北方の蛾蛾とした山を主題にしましたが、宋・元時代になると、南方の秀麗な自然へと主題は移行してゆきます。表現手法も多彩になり、初期の厳粛な創作態度から、文人の筆遊び、禅僧の宗教画へと発展して行きます。いわゆる文人画、禅画の誕生です。墨のもつ特徴を追及し、そのおもしろさ気軽に楽しめる絵画は途切れることなく受け継がれ、今日でも、山水画はもっともポピュラーな絵画として多くの人に親しまれています。 「遊春図」は1500年も昔の作品です。現代から見ると、なんと単純で幼稚な作品だろうとお思いになるでしょうが、作品を通して伝わってくる、大自然を前にした画家の素朴な観察眼、素直な喜びは永遠に色褪せることがないように思われます。(続く) |
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| 子青氏の作品が豊富に展示されているギャラリーです。 |
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