株式会社エスアンドエス 株式会社エスアンドエス

2003年 第3号

= 水墨画の魅力を掘り起こす =
孫 子青   

◆原点に立ち戻って、水墨の魅力について考えてみましょう。
 前回は、現代日本における水墨画の定義を簡単にご説明いたしましたが、この小文では水墨画の鑑賞や楽しみ方について、少しばかりお話したいと思います。水墨画に寄せる人々の関心が薄らぎ、それに連れ、鑑賞する眼の幅が狭くなりつつある今日、もう一度、原点に立ち戻り、水墨画の実相と魅力を探ってみたいと思います。
 この小文を通じて、私は日本における水墨画の歴史―水墨画はどうやって日本に伝来し、どういう変遷を経て今日へ至ったか。また、水墨画は日本の美術史の中で、どのような地位を占めてきたのかについてご紹介して参ります。
これらの知識は、水墨画の鑑賞や勉強に役立つものですが、水墨画でなくても、日本の伝統文化に興味をお持ちの方にとっては、知っておいても決して無駄のない知識だと考えます。ご一読をお願いします。

◆現代の水墨画観から忘れられた「本家・中国の存在」。
 今日、日本においても欧米においても、多くの人々は禅や花鳥風月に題材を取っている水墨画を日本の伝統文化の粋と見做し、その感慨に何の疑問も抱いていないように見えます。残念なことに、こうした方々の脳裏からは、水墨画の源である、中国の存在がすっかり抜け落ちているようです。でも、一方では、日本の水墨画は中国の水墨画の強い影響のもとに生まれたという認識から、両者をまったく同一のものとして受け止めている方も、少なからずいらっしゃいます。
一体どちらが正しいのでしょか。二つの認識は私から見れば、いずれも偏った見方だと思わざるを得ないのですが、大抵の方は、どちらかの先入観をお持ちのように見受けられます。ここでは、水墨画に対するあなたの先入観を、一度捨て、この文章をお読みいただきたいものです。ご一読いただくと、あなたの水墨画に対する認識は少なからず塗り替えられ、水墨画へ興味はもっと深まるものと考えます。

◆種類、流派を挙げて数えれば、きりがない。多種多様な日本の伝統絵画。
 「日本の伝統絵画にはどんなものがあるの?」、と訊ねられたとき、あなたの頭に真っ先に浮かぶものは、たぶん浮世絵や水墨画、絵巻などだと思いますが、いかがでしょうか。もちろん、間違いではありません。いずれも伝統絵画の代表です。しかし、日本の伝統絵画は実に多種多様で、とても一言で言い切れるものではありません。たとえば、絵画の種類でいうと、古くは壁画・板絵・仏像・曼荼羅などの宗教絵画から、絵巻・肖像画・屏風絵・襖絵・装飾経(経巻に描く絵)、水墨画・障壁画・浮世絵・日本画まで、さまざまの絵画が挙げられます。また、狩野派、土佐派、琳派、四条派、南画派、浮世絵派など、絵画の流派から見ても、伝統美術の多様さが窺われます。こんなに沢山ある絵画の中から水墨画の位置と変遷の歴史を、日本と中国の美術史を辿りながら、見て行くことにしましょう。

◆古代から平安前期まで。日本の絵画は中国の文化圏にあった。
 日本の水墨画史を眺めるとき、中国との交流を中心において看る態度が不可欠です。なぜなら、東アジアの美術は長い間、中国を軸にして発展してきた歴史をもっているからです。日本における水墨画の歴史は、日中の文化交流史そのものであると、言い換えることもできます。まずは、日中の文化交流史を紐解きながら、水墨画の歴史を俯瞰してみましょう。日本の絵画が中国絵画から大規模な摂取を行った時期は、大きく分けて二つにあるといわれています。一つは平安時代における唐からの摂取。もう一つは室町時代の宋・元からの摂取がそれにあたります。
では、平安時代における、大陸からの最初の大規模な摂取について看てみましょう。ちょっとその前に、大陸との文化交流の歴史を古代にまで遡り訪ねてみましょう。まず古墳時代から始めましょう。この時代、日本では墳墓の石室の壁に絵画を施す風習が生まれていますが、これは中国の影響によるものといわれています。飛鳥時代になると、大陸から仏教が伝来し、白鳳時代には有名な法隆寺金堂の壁画が描かれています。その図柄や技法はまさしく唐から伝えられたものでした。

◆中国文化から離脱した平安後期。日本独自の大和絵や絵巻が誕生した。
 白鳳時代に続く天平時代も、絵画の主流は唐の影響下にありました。その時代を代表する純粋絵画の唯一の遺品に、薬師寺に伝わる吉祥天女像(図@)がありますが、この豊満な女神の姿はまさに唐の美人そのものです。やがて、平安仏画の隆盛を迎えた日本は、その後期には遣唐使を廃止し、中国文化から少しずつ離脱し、日本独自の絵画を萌芽させます。中国の風物を描く“唐絵”に対し、日本の風物を描く“大和絵”が出現しました。時代を重ねるに従い、絵画は種類も豊かになり、屏風絵が描かれ、色紙形(*注)に和歌が書き込まれるようになりました。絵巻という日本独自の絵画ジャンルが生まれ、源氏物語絵巻(図A)のような名作の誕生を迎え、装飾性に富み、色彩を重視した日本人の独自センスが目立つようになります。
鎌倉時代に入ると、仏画は衰退を見ますが、絵巻物はますます盛んになり、数々の名作を残すようになります。肖像画にも源頼朝像(図B)のような傑作が登場します。

図@
吉祥天女像
図A 源氏物語絵巻
図B 源頼朝像

◆鎌倉時代になっても、姿を現さない水墨画。しかし、一人の先覚者が。
 時代の移り変わりとともに、仏画、絵巻、屏風画、肖像画などが新旧交代を経ながら、日本の絵画は成熟し発展し鎌倉時代を迎えます。水墨画はこの時代になっても、まだ姿を見せません。皆様におなじみの水墨画が顔を見せるのは、室町時代になってからで、ようやく大陸から渡ってきたのです。でも、それ以前の日本に水墨画はなかったのかといえば、必ずしもそうだとは言い切れません。実は、水墨画の手法は大分以前に遡って使われていたのです。水墨画の先駆けとなるすばらしい絵画、藤原時代の鳥獣人物戲画(図C)という絵巻には、たとえ一部ではあっても、水墨の技量が見事に反映されています。線描きという手法ですが、絵巻の丁寧な画風と異なり、飄逸な線に墨の濃淡、線の太さなどに変化が施され、まるでスケッチのようにすらすらと描かれています。動的な表現は後世の水墨画にも共通するもので、今日においても、水墨画の手本のひとつとして、必ず取り上げられます。

◆室町時代を待たなければならなかった「水墨画の勃興と黄金期」。
 平安時代になるまで、中国の水墨画が日本へ流入しなかった理由は、どこにあったのでしょうか。中国における水墨画の発生は、一般には唐の中頃(平安前期に当たる)といわれていますが、誕生以来、中国絵画の主流になるまでの、唐から宋・元に至る水墨画の長い道のりと変遷は、遣唐使を中断してしまった海を越えた国、日本では容易に捉えることができなかったのでしょう。 
やがて、宋・元の絵画の影響により、日本は周文や雪舟のような水墨画の大家を輩出させた水墨画の黄金期、すなわち中国絵画から二回目の大規模な文化摂取を行った室町時代を迎えることになります。この時代、大陸文化の移入に呼応し、勃興と隆盛を一気に経験した日本の水墨画ですが、その背景には、鳥獣人物戲画巻以来、途切れることなく流れていた、日本独自の水墨の伏流があったと私は考えています。そのことについては、次回の<室町時代と宋・元の絵画>で詳しくご紹介します。
(注1)色紙形=画幅や屏風や障子の絵の中に、色のある紙を貼り、そこに詩や文章などを書くことが平安時代初期に始まりました。色のある紙の部分を色紙形といいます。

子青氏の作品が豊富に展示されているギャラリーです。


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